地球と集合魂について 美しい約束

 

「大切なお知らせNO5
ちょっと間が空いてしまいました。
それなりの理由があるのですが、おおむね私の至らなさが原因です。
さて今回は五井先生という存在が残された「世界平和の祈り」という平易でありながらはかりしれない力を持つ祈りの秘密を開放していきます。
その前にひとつ明確にしておかねばならない世界構造があります。
それは「宇宙全史」第一巻ではある程度ご紹介しておきましたが、魂のありように関することです。
私たちの魂というものの定義は、あまりハッキリとはどなたもご存じないと思います。
どこの精神世界のカテゴリーでもキチンとした定義というものは書かれてないはずです。
それを宇宙全史では「集合魂」という領域にまで突き詰め明らかにしておきました。
①つまり「個人的な魂」・・・これが私たちの個的な肉体に対応する魂です。
これは肉体の上位レベルに魂魄体(こんぱくたい)、幽体、霊体(神智学言語で記述しますと、エーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体となります が、メンタル体・コーザル体は霊界の下位と上位という区分になります)という身体があり、その身体に対応した主体がそれぞれ魂といわれるものになります。
たとえば本来なら肉体の魂はそのひとつ上の魂魄体にあり、そこからの指導が肉体を導くようになっています。
しかし学びが進化していきますと魂魄体の魂(指導)は、幽体の魂に、そして霊体の魂へと変遷していきます。
今現在の私たちは本来なら肉体の上位の魂(魂魄体)に指導を受けていなければならないのですが、実際は肉体そのものの主体(エゴ)の思うままに動いてしまっているというのが現実です。
ですから少しでも上位の指導を受けやすくするために、エゴを薄くしていくという作業が切実に求められているのです。
②「集合魂」レベルの魂・・・さてお話しましたように個的な魂は様々なレベルがあるのですが、そうした個的な魂の似通ったもの(性向性が同じもの)が集まってひとつのまとまった集団になっているのが集合魂と呼ばれるものになります。
その集合魂がこの地球界の生命構造の基本となっていることはやはり「宇宙全史」第一巻でも書いておきました。
そしてその集合魂は霊界の上位レベル・6次元界(阿頼耶識界・あらやしきかいともいいます)に存在しており、そこから私たちは地上に肉体として降りてきています。
ここまでが「宇宙全史」第一巻での記述でした。
そしてここからが新しい魂の構造なのですが、やはりあまり簡単に書くことは出来ないのですが、現状やむを得ないないので書いておきます・・・本来はかなり複雑にオーム宇宙の構造と結びつた概念となっています。
まず皆様にとっては考えづらいかとも思いますが「集合魂は一個の魂とみなす」という構造をイメージしてみてください。
逆にいますと私たちの個的な魂とは「集合魂という一個の大きな単位から地上につかわされた(送り込まれた)ひとつの特徴ある部分(形質)である」ということなのです。
このイメージはエゴ(表面意識)には中々受け取れないかもしれませんが、実際はそうなのです。
本来ならここでカスタネダ描くところの「イーグル」と呼ばれる私たちが死んだ時に吸い込まれていく(食べられる)巨大な存在のお話が挿入されるのですが、今は煩雑になるので飛ばします。
つまり私たちは「集合魂」と呼ばれるひとつの構造物の一片(小さな部分)にしか過ぎないということです。
まずはここを理解しておいて下さい。
③「集合魂の上位の魂」・・・これが私たちのワークでは初めて出てくる構造です。
現在述べている情報は本来「宇宙全史」の本文で語られるべき内容です。
そのため付随する詳細な補填文章が必要ですが、緊急事態のためにかいつまんでお話しております。
そのことはよくよく頭に入れておいて下さい。
集合魂の上位にある魂とはどういうものなのでしょうか。
一言で申し上げますと「地球の魂」といえるかもしれません。
「地球の魂」・・・それは地球という惑星を含む、そこに生存するあらゆる生命の総体が帰り着く、あるいはそこから派生した源ということでもあります。
「宇宙全史」第一巻で詳細にお話しましたように、この宇宙の各方面から集められ、集まってきた私たちが、地球で学ぶということを始めるにあたってひとつの目的集団としての魂に帰属してしまうのが理(ことわり)になるようです。
その根源的な魂から各集合魂が派生し、そこからまた個々の魂が地上に降り立つという図式になっているのです。
(いいかたの問題ですが、その地球界の根源的な魂から集合魂が派生したのか、集合魂がさらに集まって根源的な魂に統一されたのかは定かではありません)
以前ここで私に五井先生が「美しい約束」という言葉を降ろされたことがありました。
その「美しい約束」の詳細はいまだ不明ですが、その約束はこの地球界の根源的な魂と交わされたものだということです。
そして世界平和の祈りは、この約束を元に、この約束を成就させるよすがとして地上に降ろされたものでもあったのです。
JUMU(じゆうむ・自由夢・・・「宇宙全史」第一巻参照)はこのワークではよく登場してきますがエル・ランティやサタン、それに世界中あちこちで出てく る多くの神々たちが皆様方を導こうとして努力していますが、それは阿頼耶識(6次元)界以下のカテゴリーでのお話なのです。
(JUMUという組織が中々ご理解いただけないようですが、これはある意味地球界における政治団体・・・国連組織のようなものだとお考えください。もっとも彼らが地球界の魂たちから選挙で選ばれたということはなく、自薦でみなJUMUに入ってきていますが)
たとえばエル・ランティは皆様を救おうと日夜努力していますが、その「救い」は、彼自身が神(全知全能)になることで成し遂げられます(彼はそう信じています)。
ですからまずは自分がエネルギーを得る、力を得るということを最重点課題に持ってきています。
そのためにはすでに書いておきましたように様々なことをしでかしています。
たとえば地球界での最大勢力となるために、地球に来た時にパイトロンというマシンで部下の魂を出来るだけ細かく分断、分解しています。
エル・ランティはJUMUの一員ですが、そこで主導権を得るには最大派閥になることが必要なのです。
どうやらむこうでも地上と同じく多数決の原理がまかり通っているようです。
そこで彼は手っ取り早く付き従う者たちの魂を分裂させて数を増やしたということなのです(もちろん分断された魂がどうなるかは彼の知ったことではないようですが)。
そうすることで彼が力を得る・・・つまりは神になるということにつながると思っています。
この地球界の3分の1の魂は、そういうエル・ランティに付き従っている、彼を信奉しているというのが現実です。
他の神々もまったく同じとはいいませんが、ほぼどんぐりのせいくらべ状態です。
それはまた6次元以下のレベルでの抗争・勢力争いでもあるのです。
そのレベルにはいまだ力、形、欲得、自尊心というものが幅を利かせています。
そこに多くの存在がアイデンティティ(存在意義)を見出そうとしていますし、生き甲斐ともしているのです。
私たちはすべからく学ぶということによりその領域を脱する宿命を負っていますが、あくまでもその領域の中での学びでもあるということがあります。
しかし五井先生の「美しい約束」は、そのカテゴリーをはるかに越えたところで交わされた約束であり、地球界における真に純粋な祈りでもあったのです。
ですからその祈りを私たちのエゴが判断する限りは、どこまでも理解できない「そんな祈りがなんになるのか」という理解しか得られないようになっています が、五井昌久という存在にスッと素直に入っていける方にとっては、形(力やお金、地位や名誉、美醜もそうですが)しか見えない世界、弱肉強食の世界、後生 大事に自尊心だけを握り締めている世界などからの脱出するためのメソッドとエネルギーが手に入れられるチャンスになるのです。
(少しフォローしておきますと6次元以下の世界であってもエル・ランティの存在のようなものばかりではなく、その範囲の中で(皆さんの欲望の中で)の願望 をかなえることで上の世界の恩寵(おんちょう)に気づかせるというやり方をしておられる方たちもたくさんおられます。問題はそれがどこでそういう存在とエ ル・ランティたちのような存在とを見分けるのかということですね)
今回この宇宙が終わるにあたって、皆様の最終学歴は「人(他の存在)のために祈れるか」というところにあります。
そしてそれがエル・ランティのような存在と本当の慈悲心を持った存在とを見分ける鍵ともなっているのです。
少し長くなってしまい私の今夜の時間が切れてしまいました。
以下・次回
お付き合い有難うございました」

                                                                             

                                                                        

 

それともう一つ、非公開情報No/8の御教示が大変勉強になりますので、非公開情報ではありますが、私へいただいた御教示であることに免じて、掲載をお許し下さい。

                                             


「これをご覧になっている皆さんは普通の方達と異なり一般的な「転生輪廻」という概念をある程度理解されているようですが、その場合の転生輪廻する特定の個人という存在はもはやあり得ないと明らかにしまし た。

                                      

それでは「今ここにいる私」は何者で、死んでしまったら一体どこに行ってしまうのでしょうか。

                                    

①死んで間もなく大きく二手に分かれます。一つは大したカルマも積まずにそこそこなお勤めを果たし、無事あの世に戻った方は、そのままお仲間の待つ集合魂へと戻ります。戻るとほぼ集合魂の中に溶け込み、その人生で得た情報や経験、カルマはすべて集合魂全体のものとして吸収されます( ここでお仲間とはいいましたが、実際には個々人のお仲間がいるわけではありません)

                                     

②もう一つはとんでもない人生をおくる羽目になり、集合魂のカルマの償却どころではなく逆にカルマを増やして散々好き勝手してあの世に戻った場合です。この一定以上のカルマを増やしてしまった魂はスムースに集合魂には戻れず、特定の場所( 一般には地獄とか幽冥界というような暗く重い波動のゾーン) に留まり、一定レベルの気づきが得られるまでそこに滞在することになります( この場合でも集合魂からは、何とかその境涯から助け出そうとフォローの友軍が行くのですが、それに気づけばまだいいのですが、ほとんどが気づくこともなく時間を無駄に過ごしています。この場合でも五井先生にご縁のある方は事情が異なり、格段に早く気づくよすがが与えられることになっています)

                                      

ここでは① の集合魂に戻った個人の魂のその後の行く末を追っていきます。

                                     

①集合魂は同じ仲間の私たち一人一人の魂が集合した個的な魂の集団塊のように考えてしまうが、本来それは一つの大きな生命体であると考えることが出来る

                                    

②その大きな生命体が地上での学びを画策する時、自らを小さく分散して地上に降りて行き、それぞれの人生をおくり、そこでの学びを再び集合魂に戻って共有するということが「効率的である」という理由で一般的なシステムとなっている

                                    

③つまり地上にある人間の個的な魂というものは本来なく、そこにあるのは集合魂( 大きな生命) から放たれた小さな分割された生命である

                                    

④地上にある時は例え小さな生命といえど自我( エゴ) を育成し「我ここにあり」という自覚を持つが、それはあくまでも仮のもので、集合魂という大きな生命体に吸収されればいわゆる「宇宙との一体感」のような「本来の我が家に戻った」感を得、充足に入り、個的な自我はほぼ消えていく

                                    

⑤しかし個的な魂が地上で学んだことや逆に積み重ねたカルマは共に集合魂の内部に情報として保管され、いつでも取り出すことは出来る( 保存される)

                                   

⑥その情報を元に「全く同じ人物( キャラ)• 人格• エゴ」が再びつくられ地上に戻すということはほぼない

                                   

⑦まったく同じ魂を再生して地上に戻すということはタイムパラドクスを起動してしまうので( それは防ぐ方法はあるのだが莫大なエネルギーを要する)避けられている

                                    

⑧実はこれまでの地球で極わずかにそういう例はあるのだが、今のこの地球の時空間に大きな影響を及ぼすので教えてはもらえない

                                   

⑨人間( 魂)とは情報で出来ている。そしてその情報は記憶に由来する。つまり人間とは「記憶」である。記憶がなくなれば人間は死ぬ。その記憶とは思考レベルの単純な時系列経験のような記憶から、肉体(DNA や臓器類他) が持つ独自の記憶、さらに潜在意識以下の精妙な波動の記憶も含まれる

                                   

集合魂に関わる情報はまだまだ数多くあるのですが、ここでは「個的な魂と集合魂の関係性」という点にフォーカスしておきます。

                                   

私がこの宇宙全史のワークで感じることは、多くの人たちは精神世界において「エゴを薄くしていく」というワークの重要性を認識していないということです。
精神世界に足を踏み入れたにもかかわらず、相変わらず「自己の目先の利益」「社会的なステイタス( 教祖のようなものになってみんなから尊敬されたい)」「超能力を手に入れて人より抜きんでたい」「お金を増やしたい」果ては「選挙に出て当選して社会を変えていきたい」等々ですが、それらはすべて精神世界の有り様ではなく、通常の人間社会の価値観に基づく思いであり、行為です。
エゴというのは「欲望にもとづく思い」ですから、「欲望」を薄くしていけばいいわけです。では欲望とは何かといいますと「欲望とは肉体に関わる、肉体より派生する願望」といえます。

                                    

私たちはこの世に生を受けて、この世界で生きていくためまず覚えなければならないのは、

                                    

①肉体を維持するための方法を学ぶ( しゃべる、歩く、食べる等々ですが、自らを傷つけるものから逃げる、避けるという行為もこの時学んでいきます)

                                   

②肉体をとりあえず維持できるようになると、次に人間社会において波風なく生きていけるようにするため「社会性」を学ぶようになる。この「社会性」とは家族との関係から始まって、学校の先生や生徒間、近所づきあいから会社での上司等との関係性などです

                                   

③思春期に入っていくと「性」に関わる欲望が大きくなり、あらゆる思考、行為の根底に「性への渇望」が秘められることになります( 恋愛ももちろんその一種です)

                                    

④そうしたことを学んでいくうちにやがて肉体は「もっと楽しみたい」という欲望を発していきます。
それが「趣味」であり食べ物やファッション、芸術への「嗜好」という一段高度な欲望へと変換されていきます

                                   

こうした欲望はエゴを形づくり、エゴは人格を形成していきます。そしてそこに明確な「私」が存在する(見える)ようになるのです。それが「我ここにあり」という人格を作り上げてしまうのです。                                   

                                                                                                                              

ただ① と②の間くらいに「愛されている」「必要とされている」という感覚を与えられていないと、全うなエゴ形成がなされず、成人してからも反社会的な人格のまま生きていかざるを得ないということになります。

                                    

さてこうして人間にはエゴ(自我)が形成されていき、それは人間社会で生きていくにはある程度役には立つのですが、それはあくまでも「人間社会の中」という非常に狭い限定された中だけで通用するチケットになります。
ましてやこの地球という「宇宙のクズの集まり」と規定される社会ですから、いつまでもそこに留まるということは本来の進化において停滞を招くことになります。そこでそこから抜け出て新たな境涯に脱出するためには、まずこの社会で自らの身を守る「殻•プロテクタ—」になっていた「エゴ」を脱がなければならないのです。
しかしあまりにも長い間「エゴ」を纏っていたため、エゴと本来の自己との区別がつかなくなってしまっており、「エゴを薄くする」という行為が「自分をなくしてしまう」という認識と重なってしまい中々出来ないようになっています。
それでも「エゴを薄くする」というステップは必須のものであり、覚醒(離脱) を求めるならば決して避けては通れない関門なのです。
またエゴは基本的に肉体の欲望から派生していますから、その欲望を打ち消していかないとエゴも薄くなっていきません。一般人にとってそこが最もとっつきにくい部分で、美味しい食事を制限したり、美しい女性とお付き合いできなくなったり、好きなギャンブルも出来なくなったりと中々受け入れることが難しいように出来ているのです。
ただ本当にもう覚醒するしかない、次の段階に行くと決めた人にはそういう欲望自体が次第に薄くなって いくことも事実です。
肉欲も食欲も世間様の様々な楽しみも味わっていきたいと思っている方には「エゴを薄くしていく」という方法論はまったく適応されませんし、そもそもそういう気にもならないでしょう。
「エゴを薄くしていくと集合魂との同通が出来るようになる」
エゴを薄くしていくと今までブロックとして機能していたものがなくなったので集合魂や守護霊との同通が出来るようになつていきます。
そこで初めて「自らの天命」や「正しい生き方」という指針が正確に理解できるようになります。その境涯が進みますと「一般社会への興味」が次第に薄れていき、隠遁生活とまではいかなくても、一歩も二歩も世間からは身を引いて、新しい世界に適応できるような準備を始めていきます。
こうして個我が集合魂へ帰る日が近づいていきます。
しかしエゴが濃くある人にとっては「集合魂の中に溶けていく」というイメージは「自らが消えてしまう」「無くなってしまう」という恐怖感を強く持つので、こうした過程はスムースには進まないでしょう。

                                   

ここではどっぺんさんの例をとって精神世界ではあまり馴染みのなかった「集合魂」の有り様とエゴを薄くするという精神世界では必須の階梯について説明してきました。