フロイトと自我(エゴ)

ジグムント・フロイトはご存じの通り、精神分析を創始した精神科医ですが、彼の「自我」と邦訳される原語は"Ich"です。これは英語のI(一人称のアイ)と同じ言葉で、私という意味です。

自我と訳されているのは、公式の英訳がIではなくegoになっているためで、これははっきり言って別の言葉になっています。

フロイトはエゴという言葉を使っておらず、私という日常語を述語化して使用しています。そして無意識はEsであり、これは英語のItになります。

ですから、"I am That"は”Ich bin Es”になり、これをそのまま訳すと「私は無意識です」となりますので、少し言葉から考えさせられます。

 

 
2013/5/30 No.1794の御教示です。
「izuwo様
●「エゴを薄めていって、自己を滅却したならば、私は何になるのですか?私はどこにあるのですか?」
あなたはどこにも存在しなくなります。
あるいはあなたはすべてに遍満します。
あなたは彼であり、彼女であり、樹木であり、動物たちであり、この地球であり、この宇宙であり、この宇宙をも超えたものだと知ることになります。
よくあるたとえ話ですが、自分を乞食と思い込んでいる王子様が、何かのきっかけで「自分は王子だったのか」と気づく時が覚醒です。
私たちは本来自由で軽やかで、冒険に満ちた愛そのものの存在なのですが、地上にしばりつけられ、実体のない欲望に取りつかれてしまっている「乞食」だと思い込んでいます。
あなたは自己を滅却したとき、王子様に戻る・・いやずっと王子だったことに気づくだけなのです。
●「なぜ、人類は理解不能で知りもしない愛というものを求めて、知ろうとしてのたうち回っているのでしょうか」
私たちはそこから始めなければならない存在なのです。
そこからしか理解できない在り様にまで落ちてしまっています(地球ではこれまでにもアセンションが何回もあり、そこでデセンションしてきた人たちが私たちなのです)。
何度もいいますが愛は理解不能ではありません。
それは世界がある限り(どんなにレベルの低い世界でも)形を変え、その世界に応じた有り様に適した愛となり(この前お話ししましたのは母性でしたが)皆様の前に顕現しています。
それを見つけるかどうかは皆様次第ですが・・
●「エゴである自分もわからない」
あなたご自身がエゴなのです。
他にエゴはありません。
①悪い自分をエゴだと思う
②自分勝手な思いをエゴだと思う
③人とうまくやれない自分をエゴだと思う
それらはすべてエゴではあるのですが、エゴの一部、表面的なものにしかすぎません。
「エゴとは何か」
と考えるからわからなくなってしまうのです。
エゴはあなたなのです。
あなたそのものがエゴです。
しかし最初は①~③のような感じで始められるのがいいかもしれません。
「エゴとは自分のこと」という命題は、禅の坊さんがある程度修行を積んで、高度な考案を突き付けられたときに取り組む命題です。
がんばって下さい
虚空蔵55」
と教えていただいているところとリンクして、先ほどのことを最近考えています。