不敬

「不敬」に関しての御教示です。


2011/4/12 No.212


「五井先生という方は「何でもいいから私とつながりなさい」「非難してもいいし、けなしてもいいからつながるように」と生前おっしゃっていました。


その慈悲のお心を弟子の私が薄いですが少しでも受け継ぎ形にしているのが最近の左の掲示板です。


ですから以前と比べるとだいぶ荒れていますが、これが本来の皆さんのお姿でもあるのです。


スッと一本世界平和の祈りに真っ直ぐ透き通っている方


わからないなりに何とかしがみつこうとしている方


よく勉強もせずにご自分の思い込みで意見をいう方


何とか自分だけ助かろうとする方


エゴのままに自分の思い込みをそのまま自己主張する方


最後の方のあまりにエゴの主張が強い方のご意見はさすがに掲載はしておりません。


それはあまりにエゴが濃いと「不敬」という穢(けが)れが出て来てしまうからです。


そしてその穢れを嫌う(好むか?)様々な存在がその方に憑(と)りつきます(中には凶暴なものもいるのです)。


それを防ぐ意味でもあまりにも「不敬」にあたると思われるものは掲載していないのです。


私が以前ここでよくご紹介していた「ニサルガダッタ」や「カスタネダドン・ファンシリーズ」などは実は非常に覚醒への近道なのですが、それがまず無理だということがわかってきました。


多くの方には無理な道なのです。
それが今までわかりませんでした。
これは私の特殊な事情にもあるのですが、それにしても気づくのが遅かったようです。


そこで最後の手段である「五井先生のお祈り」をご紹介したのです。
これならばどなたでもできる易行道ですが、それすらも出来ない方もおられるということもあるようです。


その場合はやはり少し無駄でも色々回り道をして、勉強をされてからということになるかもしれません。


そもそも「宇宙全史」第一巻は読むだけで覚醒できる書物です。
私はそういうふうに作っています(特に初版は)。


しかしそれには条件があったということも最近だんだんわかり始めてきました。


これもまたいずれ詳しくお話ししますが「理屈だけで覚醒する」という考案は、条件がそろえば可能なことなのです。
それにしてもほとんどの方が「宇宙全史」第一巻を理解しておられないということには驚きました。

洗練されたエゴ

洗練されたエゴを追求したいと思います。
まず御教示から。
 
「子供の時に育てるエゴは「愛されている」「守られている」「自分は生きていていいんだ」というエゴです。
そこに祈りがあるというのは実はとてもいいことなのです。
ただし親が「ちやんと唱えなさいよ」とか「毎日キチンとやらなきゃだめよ」というようなやり方ではう
まくいきません。
五井先生のようにやさしくお母さんと一緒に祈りましょうねという姿勢がそこには問われるのです」
 
「本当に完全覚醒に至るには適したエゴなど存在しませんが、すでに書きましたようにその前の段階では「洗練されたエゴ」というのが課題になります。
「整理されたエゴ」ともいいますが…
 
混乱した生活からは混乱したエゴしか生まれません(本当は逆でエゴが混乱しているので生活が混乱するのですが)。
常時エゴを見つめ、そこを整理していくと「エゴを薄くする」という次の段階に移行出来るようになっていきます」
 
 
「私たちは覚醒を本心から求めるまでは、エゴを洗練させなければなりません。
 
「エゴを洗練させる」ということはとりあえず、
 
①自分以外のもの(他人や木や雲なのです)を識別する
 
②識別したものと共存できるようにする
 
この二つが人間のエゴにとっての大きな使命です。
 
①は人が幼い頃にエゴを生み出すための作業になります
②は分離した世界で(大人になって)生き抜くためのエクササイズです
 
そして②の中で出来る限り自分(エゴ)の目的にかなった生き方を探るのが「洗練されたエゴ」なのです。
しかしこのエゴの中には、「エゴ」と「自らの本心(良心)」が混じってあります。
そこでどこまで「本心」を出していけるかが本当の洗練された「エゴ」になります。
その上でその「洗練されたエゴ」すらも薄くしていく作業が「覚醒」への道程になります」
 
 
「この地上のとらわれをすべて解くまでは、それまではそれなりに物質の重みといいますか、社会のシステムといいますか、人と人との付き合いといいますか、そういうものとうまく付き合っていかねばならないのが人間の宿命です。
 
どうせ付き合わなければならないのなら、洗練されたエゴで、洗練された付き合い方をしていくのがベストです。
 
そしていつか「もう人間は嫌だ」「人間社会はもう結構」となったら出家するなり覚醒を求めるなりなさればいいのです。
(ここが難しい判断なのですが、それが「逃避」「社会から逃げる」「人から逃げる」という選択はまた別なものです)
 
まだ未練があるうちは供養もしつつ、五井先生の祈りとともに生きていきましょう」
 
 

敬い 謙虚さ

謙虚さと敬いに関するご教示です。

 

2015/2/12 No.2292

 私はあまり「謙虚さ」という言葉が好きではないのですが、それでも広大な精神世界において導きを願うという希望があるのなら、そこには「導いていただく」という一種の「謙虚さ」というものがないと中々上からの指導というものが得られないようになっています。

上の方々はそもそもそういうえり好みはされませんが、こちらサイドが「エゴ」という「非謙虚さ」を持って「あれは嫌」「こっちがいい」「もっと早く楽にして」等々自分勝手な欲望のまま突き進んでしまうと、結果宿命のままの道を歩むことになってしまいます。 
そこには「運命・カルマ」からの脱却という可能性は全くなく、ただひたすらカルマを償却しながら再びその負荷がより深いカルマを生み出す負の連鎖に入っていくのです。 

このBBSを見ていますと、大体どんどん進化していく方というのは、上辺だけではない「謙虚さ」というものをお持ちです。 
それは「己の小ささ」を自覚する謙虚さであり、「エゴというものの愚かさ」を知る謙虚さでもあります。 

よく例えでいわれることですが、 
「コップに水がいっぱい入っていると、そこにはもうそれ以上のものは入れられない」 
「しかし水をすべて捨ててしまえば、そこには信じられないような美酒が一杯入るのだ」 
心の中にエゴという大して美味しくもない水を一杯にしていますと、覚醒という美酒を入れる隙間がないという事なのでしょうが、そのポイントはやはり「謙虚さ」というエゴにとらわれない、エゴから一歩退いた目線が必要なのかもしれません。 

私という存在は見た目には到底「謙虚さ」という言葉とは縁が無いように見えるでしょうが、やはり上の方たちに対して敬うという気持ちは無いこともないのです。 

以前ここでは何度か書いておきましたが、宮本武蔵の晩年の言葉です 

「神仏を敬い、神仏を頼らず」 

「宇宙全史」第二巻がペンディングのままで、宮本武蔵の素性が明確にされていませんが、彼はまさに「神仏に頼らない」独自の道をゆく野生児でありアウトローでもありました。 
その彼が晩年残したその言葉には、人の世でどんな生き方をしようが、人から何と言われようが、自らの思いのまま生き抜いた誇りがそこにはありました。 

しかしそれでも彼は「神仏を敬い」という謙虚さを持つ人物だったのです。 

あるいはそういう謙虚さを晩年持つに至ったといってもいいかと思います。 


この世界に一歩足を踏み入れてしまうと、完全覚醒するまではアルプスの尾根道をゆくようなものです(両わきは断崖絶壁です)。 

たかが胸のチャクラが開いた、クンダリニーが上った程度の覚醒で舞い上がっていたのでは、その時はいいのですが、すぐに陰始に絡め捕られ引きずり落とされていきます。 

その時一番役に立つメソッドが「謙虚さ」です。 

しかし「謙虚さ」を知るには、世界の広大さ、五井先生を代表とする上の方たちの大きさ、高さを推し量る力量がなければなりません。 

しかしそれすらもわからない方たちは「世界平和の祈り」をただひたすら行じて、五井先生にすべてをお預けするしかないのです。
  

2008 年5月18日No.232

 私が「宇宙全史」のワークをしておりますと、
「そこまで疑うか」と上の方に云わしめるほど「猜疑心」丸出しで探求します。確かに私の場合は「猜疑心」丸出しではありますが、それは私のお仕事と割り切ってはいるのです。
宮本武蔵が確かこういうような事をどこかで書いておりました。「神を頼らず、ただ敬うのみ」
私もニュアンスは違いますが、「神を信じず、ただ敬うのみ」
そういうスタンスで、やりくりしております。お分かり頂けますでしょうか。
有難うございました。


2009/2/9 No.528

神話は基本的に伝承として、口から口へと伝えていくもののようです。

本来「信じる」「敬う」という心を物語として伝えていくものなのですが、現代では神話(物語)自体に力が失われてきています。

どちらかといいますと、それは今の漫画やアニメを媒体として受け継がれて行くのかもしれません。

神話に関しましては、教育とか教わるといった概念は、あまりなじまないでしょう。
国や社会のステイタスのための道具となってしまった時点で、それは力をなくしていくものなのです。

それはあくまでも「人と人を超えた存在との関係性」を、「信じる」「敬う」という形で伝えていくものでもあるのです。

これが漫画・アニメを媒体とするときは「ロマン」という形をとることもあります。

自己憐憫

自分の「自己憐憫」のパターンに深く気づき、それを修正しようとすることは、カルマの解消につながり、覚醒の上の段階を目指す上で大変重要な課題です。

 

過去の御教示をもう一度引用します。

 

『あなたが周りの方々を憐れんで見るとき、あなたはあなたご自身をも憐れんでしまっています。
 
それを「自己憐憫・じこれんびん」といいます。
 
それが私がここで言い続けている「人類を自由から隔絶し、縛り付けている鎖は自己憐憫」なのです。
 
本来この自己憐憫がなければ、人はもっと自由に生を謳歌(おうか)できるのですが・・・。
 
自己憐憫とはただ単純に「自分がかわいそう」と思うだけではなく(それがベースにありますが)、
「自分はこれだけ(いっぱし)のものだ」
「本当は自分は もっと出来るのだ」
「もっと幸せであるべきだ」
「そういう状況にあるのはすべてまわりのせい」
「世間が悪い」
「社会が悪い」
「政治のせい」
「親が悪い」
「友達のせい」
「天気が悪い」
「コーヒーが熱かったから」
・・・と延々責任を転嫁(てんか)し続けます。
その結果ご自分の中の本当の原因をいつも見過ごしてしまうのです。
ちょうどあなたがまわりの不都合をただスルーしてしまうように・・・です。』
(2010/5/15 No.1074)
 
『エネルギーをなくし、子供に愛着を持つ親は、
 
①やさしくない
 
②忍耐力がない
 
③情に流される
 
④酷薄になれる(裏切られたと思い込み深い復讐の念を持つ)
 
一般的に③と④は「人間的」といわれている形質でもあります。
 
愛情や愛着という一種の執着を持つ人々は、それが裏切られると思うとたちまち豹変して「残忍」にもなれますし「酷薄」「冷酷」にもなってしまいます。
その残忍性は「愛着」の度合いに比例します。
 
つまり愛着(執着)が強ければ強いほど、裏切られたと思うときにはその反動として強力な復讐心が湧いてくるのです。
 
私が以前からよく申し上げています「情の深い人ほど冷酷になれる」「非情な人が本当はやさしい」ということがここにあります。
 
③と④は情(執着から派生する感情の一種)という一般的に「人間的」といわれている形質ですが、この情に「自己憐憫」が絡むことで、さらにその効果は加速されていきます。
 
自己憐憫」は人類の最大の敵であり、エゴの中心に位置する最強の暴君でもあるのです。
 
「私はよくやっている」
「自分を認めてほしい」
「なぜ自分だけほめてくれないのか」
「私にだけ挨拶をしてくれない」
「ぞんざいに扱われた」
「私だけが苦しんでいる」
「もっといい思いをしたい」
「もっといい容姿に生まれたかった」
「もっといい子がほしかった」
「どうして私にこんなバカな子供が生まれたのか」
「本当はこんな人生ではないはず」
 
そこには「感謝」がないのです。
 
生かされてあるということ、日々の当り前に、ただそれだけのことを感謝できないのです。
 
私たちは過去生からの因縁で生まれ、生き、死ぬということを繰り返していきます。
今自分の前に現れている現実は、すべて自分が招いたものだということがわからないからそう思ってしまうのです(つまり今眼前に現れている現実は、自分が招いたものである。そしてそれは今解消すべき時として、縁あってこうして現れているのであるから、学びとして受け止め精一杯の努力で受け止め解消していくということ)。
 
その形は私たちが「学習」すべき最も効率的なシステムにもなっています。
早くさっさと学ぶべきことを学んで次の段階にいけば、もっと軽い生が待っているのですが、それに足枷を強力につけているのが「自己憐憫」というエゴなのです。
 
「学ぶべきことを学ぶ」とはまず眼前の現実を受け入れるというところから始まります。
それがなければ(つまり試験用紙を受け取るということですが)そもそも試験は始まらないのですが、大概の方はこの段階で挫折してしまいます。
現実を受け止めないのです。
「何かもっといい世界がどこかにあるはずだ」
「自分にはいつかきっと王子様が現れて抱っこされてお姫様になる」
「現実がダメなら精神世界で・・」
「こんなに苦しんでいるのは、きっと自分には救世のお役目があるに違いない」
だから皆さん様々な詐欺や怪しげな精神世界、宗教団体に簡単に引かかってしまうのです。
 
しか現実を受け止めると申しましても、ただ受け止めそこから何の努力もしないというのはまたちょっと違います。
全身全霊でやるべきことをやって、その結果をすべて真摯に受け止める・・それが本来あるべき私たちの姿なのです
2012/11/10 No.237)』

イルプロラシオンのアセンション

別のブログに、上記の名前で、エルカンターレ大川隆法に関わる情報やエルランティ(エンリル)や高橋信二に関する情報を少しずつ挙げています。

イルプロラシオンから一緒にやってきた皆さん、いまイルプロラシオンの大集合魂がアセンションを目指して文字通り大集合しているそうです。

依存から脱却しましょう。

 

「「神が何とかしてくれる」
「これまで神にすがれば何とかなってきた」
「今回も必ず神が救ってくれるはずだ」
                                   
その思いは結局自己の存在を「神」という自分とは別なものへ依存• 委託してしまっています。
そしてその祈りの行き着く先はエル• ランティ派閥かプレアデス派閥、あるいはその背後で牛耳っているエホバにたどり着いてしまうのです。
 
「自己の存在」 「アイデンティティ」そういうものを自分の外に委託、依存してしまうことは、その時点で自らの運命を他人に明け渡したということなのです。
 
そのことに対して私はどこにも誰にも文句をつけようがないのです。
 
エル• ランティ派閥に力を与え続けているのは、地上で信仰をしている方たちなのです( それがどんな宗教であろうとです) 。
 
あるいはエホバにエネルギーを供給し続けているのは、自我自欲のままに他者を操り、搾取し、自分だけの快楽に身を任せる人たちでもあります。
 
そういう方たちが多すぎるのです」

と虚空蔵55様が書かれたのは2008年です。それから、本日まで様々な情報をいただき、陰始(糸)にたどり着きました。

そして地球がそれを整理しようとしています。

 

ぜひ「宇宙全史1」と「20年後世界人口は半分になる」をお読み下さい。

EOの悟りの定義

EOは、「悟りなき悟り」で、次のように述べています。


 悟りとは、「意識の未分化状態」「非対象化現象」であり、「原初の対象化」によって、「何かを認識したその瞬間」には、すでに分割が開始される。そして、その「何か」の中には、「在る」という「存在感が含まれている」。


 仏陀が、「どうしてもなくならない不安」といったのは、普通の不安のことではなく、意識に発生する「最初の第1分裂」、つまりは、もともとひとつだった意識が、断片化した段階で、どうしても、そこに発生してしまう、「断片化した意識が、元に戻ろうとする衝動」に起因するもの。


 意識の第1分裂というのは、我々人間の中でも休むことなく、今も、起きているわけで、その徹底的な「気持ち悪さ」を、意識しているかいないか。


「微妙な不安」


あの「不条理で奇妙な世界」を、歩いていけるのは、 純粋な「探求者」だけ。


悟り自体を、より変化または、より探索したり、「解明」しようとする人たち。
 
悟っておしまいなのではなく、彼らは悟りのエキスパートであり、「研究家」。


 彼らが解決しようとしたこと、取り除こうした不安というのは、それこそ、「宇宙の創生の段階」で生じてしまった「意識分裂」そのもの。


 存在しているか、いないかの、「基本的認識の明滅」が、「不意に」「消え去る瞬間」のポイントに、うまく、「身投げ」できるかどうか。


 肉体的には、変わらぬ分裂した、破片の状態にあっても、意識の次元においては、宇宙の初期分裂以前の状態になってしまったこと。

 

 人が、「在る」と感じる、つまり「存在感を感じる」ということは、それがいかに、無我の状態や無私の状態や、無思考の常態であっても、「在ると感じる」以上は、それは「非在性」または、何らかの対象に意識が分割されているということである。


「生きているのか、死んでいるのかを、確定するな」 「起きているのか、眠っているのか確定するな」「いるのか、いないのか、確定するな」


「未体験性の連続状態」


闇を対象化しているうちに、主体それ自体が闇に飲み込まれるということによって、一元性を獲得することもある


完全に、未分化、非対象化現象をといあう場合には、肉体上には、そのポイントがありません。言うまでもなく、頭頂よりも上空の空間にずらさないと、そのポイントは見つかりません。


だけです。
ただしこれは、前頭頂部と、頭頂部の十分な訓練がなされた後でしか、効果ありません。
か?
 

この衝動が、断片化した意識に落ち着きのなさを生み出して、意識の「動きを開始する」ための機能をします。機能というより、「罠」ともいえます。
 
つまり、「自分の位置確認」をするために、まずは、「自分の意識そのものの対象化」をはじめてしまい、「何かが違う」という「根本的違和感」を、そこに生じてしまい、何かを「探しに、動き出してしまう」というわけです。


それでも、意識が断片化した段階で、すでに運動を開始します。意識が落ち着かないので、どうにかして、元のひとつの状態に戻ろうとするわけです。


それが、探求者と、そうでない者の分かれ目です。
 
ようは、人というのは、ただ、存在しているというだけで、本来は、十分に、すでに不安な状態にあるということです。
 
体のどこも痛くもない、いつも満腹で、生活不安なし、セックス問題なし、人からも愛されて問題なし、したいことは何でも出来る。
でも駄目なんですよ。
 何をして、何を知って、何が、できたとしても。
例の「ここはどこ?私は誰?ナビ」が、動いてしまっていますから。 
「私は誰?ナビ」は停止することはあっても、「ここはどこ?ナビ」は停止は困難です。
仮に、それもうまく停止したとしても、最後に残るのが、「意識があるのかないのかセンサー」「意識の対象化分裂」です。


 
●ところが、それが極小のミニチュアという形で、つまり、一個人(一固体)の中で、
その最も初期のプログラムを解除する方法があったということ。それが可能であったこと。
それが悟りというものの「探求の歴史の記録」なのです。
 
それが回帰してゆく元の状態にも、多少のレベルがあるようですが、
光ではなく「闇」が介在すると、ほとんどの場合には、似たようなレベルの意識に
還元されるようです。
しかし、その後、彼らが世界の中に存続できる可能性は決して、保障されていないこと、
これもまた、悟りという現象の本質です。
 

【意識という「主体がある」という存在感である】
 
この主体は、「3~2」の領域では、すでに自分の自我というような主体ではないが、
さというのも、人は自分が「いる」のを「感じる」からだ。
それは瞑想に何の邪魔もしないし、延々と続く、ありのままの知覚や無心の邪魔もしない。
 
●だが、これこそが「存在と無」の間にある基本分裂だと言ってもよい。
あるいは、「意識の根本的な分裂」であると。
 
「3」や、特に「2」に至ると、人は、「個」から「全体的な存在」になったと感じる。
しかし、そこにはまだ全体というその領域、存在全体という、あたかも惑星の大気の
ような、「制限された光の世界」があり、
その空気は、そのさらに奥の「宇宙の母体」である「真空=闇」とはまだ対立している。


すなわち、「2」は「純粋存在的」ではあるが、「絶対無」とはまだ「結合をしていない」。
 
そこで、「2」から、さらに知覚の主体が存在する存在感覚を忘却して、「1」の状態に
なると「人間」においては、起きることは、以下の2つである。
 
■1/ひとつは、全く対象が存在しない体験で、これが起きた場合には、
 「2」でまだ存在していた「全体意識という主体の存在感」もなく、
     そこでは、ただ、ただ、歓喜的振動以外には、何も起き得ない。 
 
■2/もうひとつは、そこに知覚の対象物があった場合には、
     そこらにある木や石や情景に対して、人は全く分離を感じることができなくなり、 
したがって、石や木そのものに「なっている」という神秘体験をする。
 
和尚が、自己描写している彼の21歳のときの体験は、これである。
庭の木の葉脈までもが輝いて脈打って見え、あまりの至福で窒息しそうになった、
というものである。
 
●2の状態は、「ただ見ている」「ただ聞いている」。 
しかし、聞いているその「主体」は、まだそこにいる。
それは、「私」が音を聴いているのではないが、「意識としての主体」が、
無心に聞いている、または、自然にただ「聞えている」というのが「2」である。
 
●これに対して、「1」では、その主体すらもない。
もしもそこに対象があれば、「ただ対象しかなく」もしもその「対象すらもなければ」、
そこには純然たる「至福の充満」だけしかない。
 
これが人間の中では、たまたま「至福」として経験される、その最大の理由は、
おそらくは、EO師が「反逆の宇宙」の著作で解説していたように、「フィードバック発振
の状態」に似たことが、 意識のかなり深部で生じていると推測が出来る。


■「4」の中にいる、多くの者は、どういう人生をどう生きたり、何を多く知ったり、
実際に「体験」したり何を「体得」したとしても、単に「混乱の世界」を生きている。
それは、ただの知識、ただの記憶、ただの経験、ただの主観的世界だ。
 
いかに天才的になり、職人的になり、技を磨いて、何かに熟達して、
人生に成功したとしても、それは、まだ「思考操作の世界の事」にすぎない。
 
■「3」は、思考を操作するのではなく、思考との「同化を断ち切る道」である。
 
■「2」は、思考との「同化」を切るのではなく、「思考そのもの」を切断する。
 
■「1」は、無知覚、無対象でも、なおもそこに残っている「主体」を切る
(または溶解させる)ことである。
 
「2」の状態は、一生やっていても問題はないが、
「1」の状態は、高純度で、継続的に肉体にその負荷がかかれば、1ヶ月で死ぬと
いわれている。つまり厳密な意味においても「1」の状態の不断の持続のみが、
いわゆるサマーディと呼ばれるべきものである。
 
EO師は、「1」を基本ベースとして、一方の普通の生活では、「2から3」の間を
往来しつつ生きたようである。
また、EO師は、「1」の至福の中から、人間生活への「散歩」をしていたようです。
 
●ちなみに、死人禅の行法をやっている人たちは、かなり真面目に毎日継続して行った
とすると、ほとんどの人達は、容易に、まず、「3」に移行します。
 
この理由は、通常、「4」の混乱して、習慣的で統制のとれない、錯乱した思考、つまり、
自分で勝手に考え、勝手に連想し、勝手に苦しみを生み出している状態の原因となる、
眉間への集中が、「それよりも上の部位」へと上がるからです。


●ところが、「3」から、一向に、思考が完全停止した「2」へと移行しない場合には、
「闇の瞑想」、つまりは「0」の浸透が不足しているということです。
あるいは、何かひとつかふたつ程度、常に定期的にひっかかるテーマの思考が、
ずっと居座っているという場合が多い。
もしも、そうしたひっかかりが「現実に行動すること」で解消されてしまう場合は、
さっさと現実の行為によって解消してから、また座ればよいのである。
 
こうした場合には、かならず意識が、頭頂部ではなく、「河童の頭の、皿の部分」のように、
頭頂部を中心とした、半径十数センチの「円状」に広がってしまっています。
このときには、どうしても、しつこく気になることをさっさと、片付けるか、
さもなければ、「0」を注入するような闇の瞑想がなされれば、頭頂部の狭い中心に意識が
集束して、「3」の「思考観照」という状態から、「2」の「無思考状態」へと移行します。
 
●また、「2で止まったままになった者」がどうしても「1」の爆発を経験したいと思うの
ならば、意識を頭頂部から、その「上空の体外へ出す」以外にありません。
これ故に、和尚は「私は、常に肉体の周囲に舞いあがっている」と言っていたのである。
実際には、肉体の頭頂の上空に意識の集束点が移行したとき、人は「1」を実現します。
このときには、主体感覚すらなく、在るという感覚もなく「在る」、
つまり、和尚が「存在の詩」の、その最終章で、
 
       「全く、逆説的な意味において、あなたは在る」 
 
と述べたのが、この次元のことである。
意識の主体すらも失ったこの状態は、いわゆる宇宙意識ですらもない。
また、EO師は、この「2」から「1」への移行を刺激するような公案をいくつか
残していることは、よく知られたとおりです。
たとえば、まずは、ただ知覚が連続している「2」の状態に調整してから、
そこで、知覚している主体の意識が「そこに存在している感覚」が生ずる、「その手前」へ、
「それ以前の未知の領域に飛び込め」というものです。
「意識の存在感を感じる、その手前には、何があるのか?」という公案である。


なぜ、そこに「飛び込め」と言われるといえば、それは、それまで静寂な状態を維持して
いた「2」すらも失われるために、悟っただのと自負している者たちでさも、そこで、
「さらなる無知」に飲まれる恐怖から、「躊躇してしまう人達」がほとんどだからです。
 
また、いわばその「神域」は、「理解してはならないもの」であり、逆に、理解こそが邪魔
になり、そもそも、そこを「観察の対象」として「認識すること」すらも、
「1」への扉を閉ざすことになるのである。

 


●確かに、もしも「2」の状態にあれば、迷いというものもなく、自己感覚もない。
しかし、それでも座り続ければ、そこには「2」の限界が歴然と立ち塞がるのである。
座禅というものは、思考の妄想癖、頭の中のおしゃべり癖から脱却する技法である、
と同時に、あるレベルからは、何年も、時には死ぬまで「一歩も先に進まなくなる」
という「限界」を徹底的に瞑想者につきつける、という「冷酷さ」を持っている。
 
悟ったなどと思い込んでいる老師が、只管打坐をいくら続けて、あるいは只管打坐を
いくら弟子に強いても、悟りに対する「構造的な体験的把握」がなければ、
「2」から「1」へと移行することは、決して出来ない。
 
■「禅」というものは、闇の粗悪な「代用品」として、「無」という公案を取り扱うために、
闇によって、3から2へと移行するパターンが非常に多い。


●確かに、もしも「2」の状態にあれば、迷いというものもなく、自己感覚もない。
しかし、それでも座り続ければ、そこには「2」の限界が歴然と立ち塞がるのである。
座禅というものは、思考の妄想癖、頭の中のおしゃべり癖から脱却する技法である、
と同時に、あるレベルからは、何年も、時には死ぬまで「一歩も先に進まなくなる」
という「限界」を徹底的に瞑想者につきつける、という「冷酷さ」を持っている。
 
悟ったなどと思い込んでいる老師が、只管打坐をいくら続けて、あるいは只管打坐を
いくら弟子に強いても、悟りに対する「構造的な体験的把握」がなければ、
「2」から「1」へと移行することは、決して出来ない。
 


●なお、「1」や「2」に行くと、主体としての個体性は失われるが、ただし、それを表現
する「出力側」には、それまでのその個人の経験的な個性が「表現手段」に活用される。
個性というものは、意識して育てるようなものではなく、こうした、「上の次元から」の
自然な活用のされかたをされないかぎりは、その一方、普通に言われるところの個性は、
ただただ、その人の「悪癖」にすぎないものも多く、それは、本人にとっては、
自分という限界や周囲との誤差を、いちいち不安や苦痛として自覚してしまうような、
ただの「居心地の悪い記憶の集合」でしか、あり得ないのである。


 
●では、どうして意識にシャッター開きっぱなしみたいな解放状態である「散開」が
生じるのかというと、それは、まず「思考停止」=「2」から始まり、
次に「意識が対象化の癖を放棄したとき」=「1」です。
 
その時、本人には、「わからない」の「連続」だけが起き続けます。
全く何もわからなくなる、という状態に占領されると言ってもよいだろう。
ここまでくると、能動的に何かに意識の焦点を合わせることは不可能で、その結果として、
開いたシャッターの中に、対象物が勝手に入り込んでくるという状態になります。
 
それゆえに、禅などの初歩的なレベルの悟りが、さらに、もう一歩、
その先の、停止状態に占領をされたときの特徴としては、
「圧倒的な受動性」「特定の焦点の消失」「意識というフィルムが、光で焼き尽くされる」
ということが起き、これが正確な意味でも、俗に言われる「神秘体験」の全容です。
 
●そして、ここからその感度を、調整して帰還する人達もいます。
もしもこれを再び感度調整しないで、シャッターを開放のままにした場合には、
数週間で肉体(特に脳)は、破壊されるといわれています。
ただし、ほとんどの場合には、この世界に帰還することになるでしょう。
「完全に、生まれ変わった者」、または「原初の意識を追体験した者」として。

宇宙全史の英訳者からの質問

虚空蔵55

2014/1/24 No.255
 
只今「宇宙全史」第一巻の英訳が進んでいますが、その最中にもたらされた訳者からの質問とその回答になっています。
まだまだ全訳までは道遠しですが、とりあえず「宇宙全史」を研究されている方への参考書として、また補填材料として活用されればと思い掲載いたしました。
 
「訳者からの質問」 ●訳者 ○虚空蔵55
 
●心ある方々による「世界平和の祈り」をアンドロメダの方々が増幅し宇宙の応援をこの世に顕現させることと「ソロモンの叡智」とは、どのようにして大アセンションのイベントを決定づけるのでしょうか?
 
○ソロモン(地球の良心の化身)は、この終末期に地上にあることが出来ません。 よってその叡智はその弟子により反映されなければならないのですが、その弟子(大魔法使い)は現在幽冥界で拘束されています。このワークの初期の頃、私としばらく交信しておりましたが、そのあまりの強大な魔法の力と、彼のエゴのバランスがとれずに、幽閉されています(私の肉体を何とか乗っ取ろうともしていましたが、月読の大神の管理下ではどうにもならなかったようでした)。 ですからどうもそのあたりの按配は、私が何とかしなければならないのかもしれませんが、いかんせん私が覚醒できない限りまず無理な話なので、どうもその辺の要素が大きく絡んでいるのかもしれません
 
●「肉体の死」を体験せずにダイレクトに大アセンション後の世界にいく方々というのは、大アセンションのイベントを待たずしてそうした世界に移行していくのでしょうか?
 
○大アセンションを待たずして行く方もおられます。肉体的に死んで行く方もあれば(これが普通ですが)、稀に肉体のままアセンションするカタもおられます(仙人やドン・ファンのような存在です)
 
●大アセンションのイベント前に何らかの理由で(寿命や病気、事故等で)亡くなる、もしくは地上からいなくなる方々を「大アセンション後の世界  にダイレクトに移行する人」「地球霊界にとどまり地球で暮らす人々とともにアセンションする人」「ディセンションする人」の3パターンに分け  るとすると、それらの割合はそれぞれどのようになりますでしょうか?  また、大アセンションが起こるまでに亡くなる方々は全てこの3パターンにあてはまりますでしょうか?
 
○質問が間違っています。 パターンがあってそれに人類の行くすえが決定されるのではなく、人々の動向がパターン(割り振り)を決定していくのです。 つまりどこまでどれだけの人々が気づきを得ていくかということが、その全てを決定づけます
 
●大アセンションまでの浄化(選別)とは、漸次的に行われていくものでしょうか? それともこの選別にも大アセンションに対する「大ディセンション」のような形で何らかのイベントが予定されているのでしょうか?
 
○地球が決定的な岐路に立つ時があります。 それが目安として、現状2036年となっていますが、その「岐路」がどちらに傾くかで「大アセンション」か「ハルマゲドン」かという分かれになります。 またそうハッキリとは明確に区別できないような、どっちつかずの「岐路」もありえます。 その場合はやはり中途半端な事象が地上を覆うことでしょう
 
●エホバやエル・ランティは大アセンションの前に何かしますでしょうか?
 
○それぞれ色々やっている(あがいている)ようですが、いかんせん人類と同じく彼らにも残された時間は少ないのは否めないようです
 
●大アセンションのイベント後も地上に残り、ハルマゲドンの最中にあってアセンションしていく人々というのはどのような方々でしょうか?
 
○大アセンションの後地上に残る人は大きく分けて2種類あります。 1つは荒廃した地上に残って、そこでしかるべき学びを受ける人たち。 もう1つは、地上に残らざるを得なかった学びの薄い人々を導いていくためにあえて自ら残ることを選択した人々です
 
●「大アセンション後の世界」というのは「次元上昇した地球」のことでしょうか? それとも、アンドロメダ銀河にあるという「地球によく似た星」のことでしょうか? もしくは、どこに行くかは問題ではなくそれぞれがそれぞれの境涯に合わせてバラバラな星へいくのでしょうか?
 
○大アセンション後の地球というのは、ここでは荒廃した(次元がそのままマカ、幾分下降した)地球のことです。 「非公開情報6」で明らかにしましたが、人間にあるパラレルワールドは地球にもありまして、次元上昇した(アセンションした)人類がいなくなった地球は、それまでその人たちの力でなんとか保っていた次元が下降してしまい、より低い次元に移行します。 厳しいい状況になりますが、そこからの学びが課題として残された人類には与えられます
 
●地球自身のアセンションは地上から人類がいなくなった後に起こるのでしょうか? もしくは「次元上昇した地球」と「次元上昇しなかった地球」に分かれるのでしょうか? また、アセンション後の地球は何次元になるのでしょうか?
 
○地球の振り分けは、人間と同じで先ほどの質問の回答にあるとおりです。 またアセンション後の地球の次元は、その分岐点(大アセンションかハルマゲドン)の有り様に委ねられます
 
●大アセンションのイベントとは具体的にどのようなものでしょうか?
 
○これもその時点での人類の段階によるのです
 
●P64、後ろから2行目~ 「サナトクマラのサナトは死んでから~普段は〝サナト・何とかジャーナ〟と呼ばれて~」←「サナト」が贈り名であれば、普段(生前?)の呼び名にサナトはつかないのではないでしょうか?「クマラ」が贈り名だったのでしょうか?
 
○今でもそうですが、生前からでも特殊な能力・力を持った人には、人々が「聖なる・・」という敬称をつけて呼ぶことがあります。クマラも同じで、生前そういう形で一般に呼称されていましたが、亡くなった後「聖なるクマラ」という尊称を正式に献呈されています
 
●P468、1行目~ 「でも私たちが主に問題にしているのは物質体としての魂なのです。各階層にある魂の基準がひとつの要素として物質波動にはあります。その波動の周波数とは何を意味するかということです。」 ←ここでの論点は何ですか?
 
○この解釈は難しくて・・「各階層にある魂」というのは、「各階層にある自我」のことで、そのひとつとして物質界にある魂(自我・エゴ)の振動数のことについて書いているようです
 
●P500、9行目 「修羅界」←地球霊界構造でいうとどの辺りにございますか?
 
○この時空は非常に特殊なものでして、いわゆる層としてあるのではなく、縦に連なる(あらゆる階層を貫いて)有り様で存在しています。 ですから幽冥界にもあれば、霊界の上下界、神界、天界にまでその存在は及んでいます この特殊構造はそもそもこの宇宙が二元性に基づいて構成されているというところにあり、あらゆるものが二元の相克により現象として現れるために、その象徴として(象徴だけではなく具体化した存在でもあるのですが)の存在意義を有しています。 ですからこの宇宙に現れとして存在する限りは(ニサルガのように超越しない限りは)、神々といえどその有り様は二元対立の原則から離脱し得ないのです(もちろん現象界のような 切った張ったという低いレベルの表れではないのですが・・例えば「宇宙全史」第一巻に出てきました高次の銀河団と半銀河団との相克などです)
 
●また、以下の重複箇所に関してどちらを採用すべきかのご回答を確認しないままにしておりました。
 
○基本的に違和感が少ない限りは、このままでお願いします。 そもそも「宇宙全史」は、みわとの共同作業で、いついかなる時にどういう情報が降りてくるかは明確にできない状況での収録をしています。 その都度収録しているのですが、それを後から私がまとめているのですが、未だ覚醒していないため、明晰性にも限界があり・・おかしいかもと思いつつも修正できないまま掲載しています・・が、それはそれでいいようで、宇宙全史とはそういうワークなんだということ前提でお読みいただければいいと思います
 
●75頁の後ろから7行目以降と536頁の前から7行目以降の「以上が最近気づいたこと~」という文章
 
○75頁からの部分を削除してください。 更に74ページの後ろから6行目からも全て削除お願いします。 「宇宙全史」第一巻でダブっているところは、よほど違和感が無い限りそのままで結構です。 こういう文章を一巻の初めのどこかに挿入しておいてください↓ 「この宇宙全史は地上を遠く離れた異世界の様々な存在からの情報をみわと私が共同で取得し掲載したものですが、その情報が私たちにもたらされる時、本来まとまっているはずのものが、時空間の歪みやみわや私の精神的・肉体的なフィルターを通ることで(こちらサイドから見ると)テンデンバラバラに降りてくるように見えることがあります しかし後できちんと整理しまとめてみると、筋の通った情報につながります。 そこでとにかく降りてきたら「まず収録」というのがこの宇宙全史のワークの有り様になっています。 この本もそのようにして書かれたものですが、色々事情がありまして、複雑な構成を余儀なくされたばかりに、あちこちダブった文章が散見されますが、それはそれで有効な情報になっていますので、そのままお読みください。」 以上です
 
●24頁の前から3行目以降と522頁の後ろから3行目以降の「M理論にはまだもう少し先がある」という文章
●508頁の後ろから4行目と517頁の前から2行目の「グッドリーカンパニーがフリーメイソン支部団体である」という内容
●280頁の後ろから6行目と381頁の後ろから5行目の「1970年代のような~」という文章
●279頁の前から7行目以降と381頁の前から4行目以降の「ムルタルの街角の娼婦」に関する説明箇所
●278頁の前から4行目以降と380頁の後ろから5行目以降の「蜂人間」に関する説明箇所
●278頁の前から1行目以降と380頁の前から5行目以降の「ドラえもんの占い師」に関する説明箇所
●277頁の後ろから8行目以降と380頁の1行目以降の「とり人間」に関する説明箇所
●278頁の後ろから5行目以降と379頁の後ろから6行目以降の「まんじゅう星人」に関する説明箇所
●283頁の後ろから6行目以降と378頁の前から3行目以降の「ムルタムの支配者階級」に関する説明箇所
●275頁の前から1行目以降と377頁の前から6行目以降の「ムルタムの言葉」に関する説明箇所
●P4、3行目 ここでの「存在」とは実存、もしくは世界全体のことでしょうか?
 
○存在と実存は全く異なるものです。 実存は究極の有り様だとニサルガが明らかにしてくれましたが、それでも遥か上位の存在から見ると「実存」すらも「深遠」に至る中間地点だということも明らかにされています。 しかし「存在」は明らかに二元性の産物で、「存在」と「非存在」の双方があって初めて成り立つものですから、非常に根源的な言葉のようですが所詮はかないものになります。 私は解るものという前提でニサルガやドン・ファン、五井先生を説いてきましたが、今の時点でほとんどの方たちが理解していない(し得ない)という事実に愕然としている状況です。 私たちの宇宙を含むすべての存在・ALL・・か(この私たちの宇宙+他の宇宙を含む実存→さらにその実存を含む(超えた)存在→さらにその存在を超えた存在→・・・・といまだ私の探求は行きつく先が見えていませんが、そのすべてを包括するもの=ALLといっていいかもしれません
 
●P4、4行目  「「宇宙」の章」が本文に見当たりません。説明が必要でしょうか?
 
○この私たちの宇宙限定の説明をする章が存在するのですが、それがまだ明かされていません。おそらくその一部が第二巻で記されます
 
●P4、8行目~ 「元素記号でできた」とは、「元素記号で表現できる」もしくは「元素でできた」という意味で解釈して宜しいでしょうか。
 
○確かに少しおかしな表現でした・・「同じ元素で出来た」に換えていいと思います
 
●P4、11行目~  「基本」の章が本文に見当たりません。説明が必要でしょうか?
 
○これもありません・第一巻に分散されてしまっているので、ここは修正が必要でしょう。 「修正」↓  今ここではこれから読んでいただく「地球全史」の予備知識としてとりあえずお持ちいただきたい概念を簡単にご説明しております
 
●P5、後ろから6行目~  「「基本」の章」がございません。削除して宜しいでしょうか?
 
○削除OKです→「物質周波数は「基本」の章及び(なし)「地球霊界構造」の章で詳述しておきました」
 
●P7、8行目~ 「「基本」の章」と「「宇宙」の章」がありません。補足説明が必要でしょうか?
 
○この部分はそのままで→(「宇宙の章」「基本の章」は第二巻以降で詳述されるはずです)
 
●P8、5行目~ 「なぜなら」とはどのような接続でしょうか?
 
○削除OK
 
●P9、後ろから5行目~  (本文)  「物質波動」とは、物質の根源を追究していきますと波動であるという理論が現代の量子論にあります←「「物質波動」という表現が量子論にあり、これを踏まえて作った言葉」という意味でしょうか?
 
量子論にあるからそこから作ったということではなく、そこに合わせて説明したといった方がいいかもしれません。 上の方は私が「物質波動」という言葉を使用することにあまり好感触を示していません。どちらかというと「人間界の理解のためにやむなく使用することを許可する」という感じです。 ですからもっと何かいい表現方法や説明があると思うのですが、私が一部の量子力学の概念しか知らないためこういう表現になっています(確かに物質は根源的に波動なのですが、それが何の波動か(媒質は何か)ということが問題なのだと思います。おそらくエネルギーの波動なのだと思うのですが、それを単純に「物質波動」と表現してしまうところに違和感があったのでしょう)
 
●P4、1行目~ 「私たちはたとえ閉じ込められているとしても、その外には私たちの太陽系を含む銀河系があり~」とありますが、銀河系の大きさを持つシールドの中には  太陽系しかないのであれば、シールドの「外」にあるのは「銀河系」ではなく「銀河」もしくは「銀河星雲」ではないでしょうか?
 
○これはどちらでもいいようで、言葉の問題のようです。訳すとき困るようであれば、「銀河」「あるいは「銀河星雲」でも結構です。ちょっと質問の意味がハッキリしないのですが・・ ↑ この質問は「銀河系」という言葉自体が一般には「銀河の中でもさらに太陽系を含むもの」という限定的な意味で使われており、その「銀河系の大きさのシールドの外」ということですので、銀河系よりも大きな「銀河(もしくは銀河星雲)」という表現の方が適切ではないかと考えての質問でした。 どちらの表現を使うかは翻訳者と相談します
 
○銀河系が限定的に使用されているということは知りませんでした。  本当でしょうか? また太陽系の時空間が銀河の大きさだとしても、それは本来の銀河系とは全く関係ありません。 そこを関係づけようとするところに無理があります。 次元が異なれば、時空間が折り重なっていても全く関係性を持たずに存在できるのです。 そういうわけで「銀河系よりも大きな銀河」という概念は存在しないと思います。   私の記憶では「銀河」「銀河系」「銀河星雲」は細かな部分ではニュアンスは違 いますが、ほぼ同じ概念です。 ただ銀河系という意味には、銀河星雲以外にも、銀河と明確な重力関係があるアンドロメダなども含むことがあるかもしれません
 
●P5、最後の行 「真空伝達要素」←一般の表現で見当たりませんでした。「真空中で伝達される地球世界の構成要素」位の意味でしょうか?
 
○宇宙空間であるところの真空中を伝播するエネルギー要素という意味です。 例えば「光」あるいは同じく「電磁波」といったものです。 シールドされている太陽系に外部から届くエネルギーという意味です
 
●P21、8行目~「〝宇宙全史〟は、全世界の約37万人の方たちをターゲットに書かれています。この数字は人類のわずか14パーセントのさらにまた1パーセントの数です。」 ←ここでの「37万」という数字が、2007年の国連調査による推定の世界人口(66.7億人)から割り出せないのですが、これはどういう理由でしょうか?
 
○この数字はいつも算出法を忘れてしまい困っているところのものです。 当時の人口66億人×14%×1%×0.3%という計算式だったような気がしますが・・これだと約28万人になってしまいます。 もう一度確認しますので(実はすでに何度も確認しているのですが・BBSでは過去に正確な算出法があるはずです)しばしお待ちください ↑ 確認したところ28万人が正しい数字でした (本来何%とかおっしゃらずに何人とハッキリおっしゃって下さればいいと思うのですが・・そこはどうやら人類を個々人では見ておられずに、全体をひとかたまりとしてその何%の部分が・・という感じで表現されているような気がします。そしてその割合(%)は、日々刻々と変化しているのだと思います
 
●P22、後ろから3行目~ 「~地球の二元性と関係がある~本文でお確かめください。」←本文で「時間」と「地球の二元性」の関係についての説明箇所が見つかりませんでした。BBS抜粋の箇所ではありますが補足説明が必要でしょうか?
 
○二元性自体は単純に説明できるのですが、地球に組み込まれている時空間に反映されている二元性は、「宇宙全史」全体からくみ取らねばならないほどややこしい構造(概念)になっています。 つまり「本文」とは、これから継続して発刊されるであろう「宇宙全史」も含めての本文で、そこから学んでくださいという意味です
 
●P23、12行目~ 「この物質波動論は~本の中では詳しく説明しております。」 ←8章で物質についての最低限の説明はなされていますが物質波動論の詳細はなかったように思われます。こちらもBBSの抜粋箇所ですが補足説明が必要でしょうか?
 
○確かに物質波動論は詳述していません・・するつもりでしたが、いろいろ事情があり放置されています。  
①物質波動論はシンプルに物理学の量子力学の概念に準じています。  
②しかし月読の大神からは、あまりなじめないという感触を頂いていまして、そのまま進めていいのかどうか迷いがありました(物質波動論というより物質波動の係数・・物質波動が400とか120とかいうやつですが、あれは私が考え出した概念で、人類にわかりやすい目安と思ったのですが・・・月読の大神はお付き合いしてくださいましたが、やはりなじめないようでした)。  
③そんなわけでいつかどこかで修正が入ると思いますが、今はこのまま進めていきます。  
④ただ物質波動論に関しましては、詳細はないという注意書きを入れても構いません
 
●P25、1行目~ 「(ミノタウロスは)現代でも存在しております」とありますが、これは「地球霊界に魂として存在している」という意味でしょうか?
 
○形として顕現するには時代が固まってしまっていますので、中々難しいのですが、確かに魂としてはミノタウルスという種族は存在しています。そして普通に人間として生活しています。 直接人間を食べるという性癖も持っていますが、「狩る」という傾向の強い者た ちです(まれに食べたりもします)
 
●P25、8行目 「エホバのように」という箇所は「エホバもまた」という解釈で宜しいでしょうか?
 
○解釈は結構ですが、文章はそのままで
 
●P26、13行目 「〝認識〟の章」←こちらは2巻以降ということで宜しいでしょうか?
 
○これも書いていません。 BBSの方で小菅正三さんの著作を紹介したくだりで、少し書いた覚えがありますが・・いつかちゃんと書きます
 
●P28、6行目 「〝平行宇宙〟という項目」←7章における図入り(p438)の5次元平面での無数の世界線の説明のことでしょうか? ←また「パラレルワールド」の訳には「並行」が一般に使われるようですが、宇宙全史では「平行」で統一して良いでしょうか?
 
○実は平行世界もパラレルワールドも間違ってはいませんが的確な表現とはいえないのです。ですのでどちらも使用しているのですが・・どちらかに統一しても結構です。 これもそのうちキチンとした構造を説明しなければならないのですが、まだまだそこまで皆様がついてきていないということと、宇宙全史が続刊出来ていないということがあります。 (この問題は「非公開情報6」である程度解明しておきました)
 
●P28、16行目 「実質上のアセンション」と「実際のアセンション」という表現がありますが、これは具体的にそれぞれどういう意味でしょうか?
 
○「実質上」というのは、その区切り(時間)でアセンション出来る人たち・出来ない人たちという振り分けをします。 そこから「実際の」までは、上の方たちや、それに連なるいわば事務手続きといいますか・・まあ・・色々ややこしい準備があるようです(この間に振り落とされた人たちを、出来るだけ拾い上げようとする働きをする方たちもおられます)。その期間を「実質上の」としています
 
●P37、11行目~ 「(2007年)12月20日に起こったことですが、本では書けるようになっていると思います。」 ←本文に見当たりませんでした。この内容は「時間」の本で語られるということでしょうか?
 
○少しはBBSなどで書いていますが、きちんと書いていないと思います。  そのうち書きますが・・証明が難しい事件です。  例えば私が元いた世界と今の世界との相違・・というものが「具体的に指摘できない」ということがあります。  世界一の高さのエベレストですが、あれは現在の世界では8848メートルという高さですが、前の世界では「8」が3つ付くという数字ではなかったような気がしていますが、はっきりとは覚えていません。  それは私が覚醒していないから起こる現象で、そういう客観的な事実は、私のあやふやな記憶に頼るしかなく、どこかに拠り所がないかと今でも考え続けています  ただ一つ・・客観事象ではなく、主観的なものでは明らかに異なるということがありますが、それはまたその時に書きます。 (この問題も「非公開情報6」で解明しておきました)
 
●P39、1行目 「守護霊神」←「守護神」でしょうか?
 
○私を司る方たちはちょっと複雑でして、本来は肉体(家系にまつわる)の霊人が守護霊をやるのですが・・それはおられることはおられるのですが、他があまりにも巨大な神霊なので、隅っこでちょこんとおられるような形になっています。 私の直接指導は大魔法使いのじい様ですが、この方は本来なら「守護神」という働きをされる方ですが、その上に五井先生や植芝先生、宇宙神であられる月読の大神などが控えておられるので、役割としては守護霊という形になってしまっています。 ですからここでは守護霊神という表現になっています
 
●P56、3行目(質問文章中) 「高次元(愛の方)の場合は対象」←不自然に挿入されており以下の内容と若干重複しています。英訳においては削除して宜しいでしょうか?  
 
○これはどなたかの質問の文章ですので、あまり厳密に考えなくてもいいと思うのですが・・英訳に支障があるのなら削ってもいいかとも思います
 
●P61、5行目 「高級心霊」←「高級神霊」でしょうか?
 
○これは単純に間違っていました。修正しておいてください
 
●P68、7行目 「円ではなくリング」←一重ではなく二重ということでしょうか?
 
○言葉が足りなかったようです・・円とは円盤のことで、リングとは腕輪のような感じのことです
 
●94頁3行目~ 「やがてセッションが進むにつれ方向性がかなり違ってきました」
 
○本来は書いてあるように(一般的な)科学的探究として地球の歴史を霊的に調  べていこうとしていたということ。  それが次第に科学的な(現在の人類のアカデミックな認識レベル)探究を超えた段階にまで参入した記述が必要になってきているということです。  しかしその段階における「科学的な認証・証明」ということは、後の世の研鑚に待たねばならず、私たちはただひたすら現在の地球の進むべき方向性を、この探求の中で見出していかねばならないのです
 
●94頁8行目~ 「2008年という時代の制限」
 
○私たちのワークでは、毎年毎年ある一定の段階をクリアしていくという制限(もしくは修行)を課せられています  この年の制限が何であったのか既に忘却してしまっていますが、おそらく「2012年の地球滅亡」という実際に目の前に迫った区切りを回避すべくあった課題であったと思います。  この「2012年」の区切りは、五井先生によってすでにある程度回避されていますが、それでもその余波のようなもの大きくこの世界に反映する予定ではあったのです(地震や災害ですが)。 それを出来るだけ少なく回避すべく、(当時の私たちはまだ力不足でしたので) 「宇宙全史」という本を出すことで、その代替としたようでした
 
●P134、後ろから5行目 「この本の成り立ちは最終章で詳しく書いておきました」←見当たりませんでした。抜けているか、散逸しておりますでしょうか?
 
○なし。削除OK
 
●P161、最終行~ 「モーゼという存在が〝怒りに震える神〟というものですから、そのモーゼの神はいわば地獄霊のような存在~」 ←モーゼに対する「怒りに震える神」という表現は一般的には見られないのですが、これは宇宙全史におけるモーゼの魂の位置づけを表わしたものですか? 「そのモーゼの神」というのは、「怒りに震える神としてのモーゼが信仰していた神」ということで、更にはそれがエホバであったということですか?
 
○モーゼも次元が高く「神」といえるということ。 「怒りに~」というのは宇宙全史における位置づけを表現したもの 「地獄霊」は「地獄神」に修正 例えばも少し卑近な例いいますと、ビリケンさんという可愛い神様がいますが、あれの本体は「小鬼」です。 小悪魔に近い存在ですが、人間からすると「願望成就(限界はありますが)」の神様というカテゴリーになります。 また「菅原道真」を祀ってある全国にあります天満宮ですが、あれも神社であり、神様になっていますが、菅原道真自体は「うらみつらみ」の象徴のような方です。 そのレベルでも神として崇められれば、神となるのがこの世の有り様なのです。 言ってしまえば神にも色々ありますよ・・ということです。 (菅原道真自体は、自身がそういうレベルの解消すべき形質を持ちつつも、神としての存在と崇められつつ、そこで自ら学びと進化をしていかねばならない存在と言えるのです)
 
●P166、3行目~ 「そういう状態にあるとき」とありますが、これは具体的にどういう状態のことですか?
 
○進化の途上で肉体偏重の時とそうでない時もあるということ
 
●P179、3行目~ 「とりつく相手の姿に変化します」←相手に合わせて変化するということですか?
 
○とりつかれた人が、ニビルにいる存在のことを自分に似た物として認識するということ
 
●P179、後ろから4行目~ 「ニビルは最後にエンキというものが出現しています」 ←ニビルという星にメソポタミアのニビル信望者の影響でエンキという存在(住人?寄生体?)が生まれたということでしょうか? もしくは単純にニビル派がエンキという神をまつり上げるようになったということでしょうか?
 
○エンキという神を崇めるようになったということ
 
●P268、2行目 「〝精神世界〟の章や〝宇宙〟の章~」←「精神世界」の章も2巻以降に収録予定でしょうか?←補足説明が必要でしょうか?
 
○「この事実は「精神世界」の章」←以下加筆「(存在しません)」や「宇宙」の章←以下加筆「(第二巻以降で説明していく予定です)
 
●P268、最終行 「〝イエス〟の章で詳しく明らかに~」←6章の「イエスの前世(27万年前)」で書かれてある、住居周りのブロックにウランが入っていた話でしょうか?
 
○6章の「イエスの前世(27万年前)」で、に修正
 
●P281、4行目~ 「量子力学と申しますのは突き詰めてしまえば、人間の五感の限界を見定め、その〝観察〟限界の中の科学としているところに現実性があるのです。」 ←一般的な認識と違い量子力学というものの実態はあくまでも「人間の観察限界内の事象を対象とした科学」であり、だからこそ現実に応用が出来ているということでしょうか?
 
●五感の限界外の事象をその限界内にもってきて理解できるようにしている所に価値がある、ということ
 
●P290、後ろから3行目 「実はまだ~そのことはまた後ほどお話します。」←具体的な箇所を意図しておりますでしょうか?それとも全体に散逸しておりますでしょうか?
 
○後に出てくる色々なこと。このまま加筆無しでOK
 
●P420、7行目~ 「それではこの後はキリスト教創始者であるイエスの生涯と私の好きな二人の日本人のカッコいい死に様をご覧ください。」 ←「イエス」と「二人の日本人」の章までは4~5章をまたぎますがこのままの表現で宜しいですか?
 
○章はまたぐがこのままでOK
 
●P425、後ろから5行目 「〝宇宙〟の章の〝実存〟の項」←「宇宙」の章が2巻以降ということはこの前に説明していますが、「〝実存〟の項」についても補足説明が必要でしょうか?
 
○以下に修正→「いつか書くであろう「実存」に関わる文章をお読みください。」
 
●P431、3行目 「高橋信次はここが完全には開いていなかった」 ←(P219の最終行で)8つの上位チャクラ以外にもサハスララが開いていなかったとありますが、それに加えてスワディシュターナも完全には開いていなかったということですか?
 
○サハスララに加えて。  発言者は月読大神
 
●P431、後ろから4行目~ 「〝それは体験、経験したことを味わうためなのです。感情がないと味気のない人生になってしまいます〟」←この括弧内はどなたの発言ですか?もしくは単に強調でしょうか?
 
○これは括弧をとって普通の文にする
 
●P432、後ろから4行目~ 「扁桃腺が~」←ここから数行のやり取りは、誰とのものでしょうか?
 
○月読大神
 
●P433、後ろから4行目 「〝人間の叡智を現す〟」←これは誰かの発言ですか?もしくは強調でしょうか?
 
○月読大神
 
●P437、後ろから4行目 「〝基本〟の章の〝世界構造〟の項」←「〝世界構造〟の項」がないという補足説明が必要でしょうか?
 
○「今回は収録していません。そのうち詳しく説明します。」と加筆
 
●P439、5行目 「多層世界」←「平行世界」と同じものですか?
 
○平行世界と同義
 
●P440、4行目~ 「図2を見ていただきますと元ダマは6次元世界の集合魂の中にある自分の本体のようなものです。」 ←図2に「6次元」の説明がございません。抜けておりますでしょうか?
 
○以下のように文章を訂正 「元ダマは5次元の上位次元である6次元世界の集合魂の中にある自分の本体のようなものです。」
 
●440、後ろから4行目 「〝阿頼耶識界〟ということもあります」←「阿頼耶識界と呼ばれることもある」という意味ですか?
 
○6次元界は阿頼耶識界という世界であるということ。
 
●P454、10行目 「魂の容量という言葉があります」←精神世界でよく「魂の大きさ(キャパ)」という表現が使われるということですか?
 
○宇宙全史において。 「容量」は「大きさ」とは違うので意味を尊重
 
●P462、2行目 「それは宇宙空間の真空という状態には何も存在がないと信じられているからなのです。」←そのように信じられているだけで実際は人体が膨らむような結果にはならないということですか?
 
○意味がおかしいので削除
 
●P462、10行目~ 「それは私たちが〝魂魄体〟といっているものです。」←精神世界一般でということでしょうか?それとも宇宙全史の中でということでしょうか?
 
○宇宙全史の中で
 
●P463、5行目~ 「その基本物質が自らの波動を下げていくことにより、物質として顕現します。」 ←振動することにプラスして波動を下げる必要があるということでしょうか?
 
○基本物質・・・の波動を下げていく・・というのが正解です。  ただそれだけのことで、本日よくお話ししまして、本来はエネルギー(基本物質→物質よりは精妙な波動を持ちますが、それでも準位は物質に近いものです)の波動を上げ下げすることで、私たちの目に可視として顕現するということです
 
●P463、後ろから2行目~ 「他にはない特殊な形」←具体的には形に柔軟性が乏しいということでしょうか?
 
○ここでの「形」は「性質」位の意味 ・P465、5行目~ 「振幅」の説明から「波形」についての説明に移っていますが見出しがありません。「波形」という見出しの追加の必要はございますか?
 
○見出しは必要なし。文章をくっつける
 
●P466、後ろから3行目 「多様性の効果」←地球という特殊な環境における多様性のことですか?
 
○宇宙の意志としての「普遍的な多様性」のこと
 
●P467、2行目~ 「〝中庸〟というのはダイナミックな生き様」←個人レベルで柔軟性が必要な生き方であるというですか?もしくは個人差が大きいという意味でしょうか?
 
○中庸というのはその人その人にあった生き方をまずは社会の中でバランスをとって保つということ。  そしてレベルが上がると(エゴがなくなってくると)その中庸の意味がますます純化して、自分のやることが世界と調和したものになる。  ここで一番言いたいのは「中庸=普通」ではないということ。個人レベルで柔軟性に富んだものであれば、外から見てもダイナミックということ
 
●P469、後ろから6行目~ 「私たちの魂というのは」←「私たちのような地球で学びが必要な魂」ということですか?
 
○人類のこと
 
●P469、後ろから5行目~ 「ある一定の外れている精神における粗い波動の魂」←どういう意味ですか?
 
○私達人類は宇宙の中でも速やかな進化の流れから外れた落ちこぼれであるということ
 
●P471(図3) ←地球霊界構造のヒエラルキー図において「地球霊界」図の中に「霊界」が入っておりますが、「地球霊界」と「霊界」という表現はこのままで宜しいですか?
 
○「地球霊界」という表現を「地球次元の階層構造」に変更
 
●P476、7行目~ 「何とか今年中(2008年度中)には次の巻を出したいと思っています。」←修正が必要ですか?
 
○「2013年(もしくは2014年)現在まだ発行していません」に変更
 
●P476後ろから4行目~とP477後ろから4行目、P479最終行~ 「世界構造線(世界座標系)」、「世界線(世界座標系)」←「世界構造線」と「世界線」とは同じものですか?もしくは使い分けておられますか?                          ←「世界座標系」とは3DCGの世界で使われている用語(立体の配置を決める基準)を転用したものでしょうか?
 
○「世界構造線」は「世界線」のことで同じ意味で使用しています(世界構造線の方がより広範囲をカバーします)。数学上で用いられる座標系と同じ概念ですが、5次元までカバーしたもので、それを画像化している点が少し異なります
 
●P477、7行目 「善妖精(妖怪)と悪妖精(妖怪)」←「妖精の中でも特に悪と善の傾向が強いもの」が「妖怪」ということですか?それとも単純に妖精=妖怪ということですか?
 
○妖精=妖怪ということ(妖精にもいろいろあるので、面倒なのでここでは統一しておきます)
 
●P479、2行目 「別名〝魂魄体〟ともいわれており」←精神世界一般での話でしょうか?それとも宇宙全史の監督方がそのようにも呼んでおられるということですか?
 
○宇宙全史において
 
●P479、7行目 「かつてはこの黒い領域が地獄界といわれていたところになります」 ←下幽界(地獄界)に加えて、ということでしょうか?また、上幽界や阿頼耶識界の黒い部分は地獄と認識されてはこなかったということでしょうか?
 
○下幽界(地獄界)に加えてということ←特に言及必要無し
 
●P479、7行目~ 「6次元までは他の階層にも白と黒の中間地帯に精霊界が存在しています」←人間界と地獄界にも精霊界はございますか?
 
○人間界、地獄界にもある←特に言及必要無し
 
●P480、6行目 「この6次元境域には特殊な空間がありまして、それについては〝魂〟の章に書いておきました~」←見当たりませんでした。抜けておりますでしょうか?
 
○「特殊な空間」とは「因果律のための空白地帯」のこと
 
●P480、後ろから5行目~ 「物質波動帯域が700~800でブレ幅が上下30ずつあります」←図3(P471)では物質波動800の-30が抜けておりますでしょうか? ○800の-30が図にないのは意図的
 
●P483、2行目と4行目と7行目 「(アスタロット)」「(メフィスト・フィレス)」「(厄災の王)」←ここでの括弧にはどのような意図がございますか?
 
○括弧はとる
 
●P483、5行目 「ローマ法王は現代文明に対応しているものとしてある」←現代文明の在り様を象徴しているということですか?
 
○現在存在しているローマ法王がその集合魂の現れであるということ
 
●P483、後ろから2行目 「土台が同じ・共通」←具体的にはどういう意味ですか?
 
○具体的には次元が同じだが明るさが違うということ
 
●P487、6行目 「最上層の魔導士は現在5人いまして」←プレアデス派の中でもメフィストと同じポジションにいる魔導士が他に4人いるという意味ですか?                   ←ルターと対になっている「魔術師」(P483、2行目)と、ここでいう「魔導師」の違いはどこにございますか?
 
○魔導師で統一
 
●P487、後ろから4行目 「独特の地域」←具体的にはどういう地域でしょうか?
 
○霊的にも土地的にも暗くて陰鬱ということ
 
●P493、3行目 「回路のチャンネル」←「チャンネル」自体が本来「回路」とか「通路」という意味ですので、ここでは「スイッチ」というような意味でしょうか?
 
○スイッチの意味
 
●499、9行目~ 「隠れた秘密アイテムのようなものを入れてフリーメイソンを設計しています」←具体的にはどういうことですか?
 
ダヴィンチの秘密のアイテム・・・は、あるようですが、明確にはお答え頂けませんでした。 たとえば「自然界のエキス・要素を結集して、地上に顕現する」というような言い方ですが、簡単にいいますと、芸術的なインスピレーションを受け取る方法というようなものだったようですが・・そういう儀式が当時はあったようでした。 しかし今は形骸化され、あまり意味を持たなようです。 その他にも何かもっと深い秘密がありそうですが、その探求に今は時間をかけていられないので、まあそれくらいで・・
 
●501、6行目~ 「ヒトラーの転生でサタンは3回の小ダマの命数を得ています」←「命数」とはテーマ達成のための制限数のことですか?
 
ヒトラーの転生で3回の命数・・・サタンは通常の人間の3回分(人生としての)くらいのエネルギーは持って出ていたということでした。
 
●P508、最終行 「トップ3のアメリカ人が持つ特殊能力というのは物体移動ができるというものです」←「イニシエーションの能力に加えて」ということですか?もしくは、この能力をイニシエーションに利用するのでしょうか?
 
○イニシエーションの能力にプラスして
 
●P511、4行目 「国ができたときから」←「〝国〟という考えに基づいて人びとが集団として行動し始めた時から」ということでしょうか?
 
○本質的にはコミュニティが出来た時から、ということだが表現はこのままで
 
●P513、6行目 「私はこの宇宙のほぼ最高に近い存在ともお話しますが~それが私に与えられた力~それはある意味今の人類に与えられた力~」 ←特殊な能力を持っている虚空蔵55のみがコンタクト出来、そこからの情報を通じて間接的に今の人類にもコンタクトの可能性があるということですか? もしくは人類の誰でもコンタクトするつもりがあればそれが叶う(みわさんを通して)という意味ですか?
 
○そういった存在に質問しようとするということ自体誰でも出来るわけではない(皆何故かしない)という意味・・・(これは後ほどその本当の意味がわかってきています・みわがアンドロメダであり、私の本体が遊撃手だということでした)
 
●P516、後ろから6行目 「この5人の自我のフィルターを通すと」←トップ3の自我はフィルターとして機能しないのでしょうか(この5人の傀儡は自我が強いということでしょうか)?
 
○トップ3の自我もフィルターにはなるがそれはここでは言及していないだけ。ただし5人の方が人類に直接的な影響力があることは事実
 
●P520、1行目 「きっかけとしてフリーメイソンの霊団からインスピレーションを受け覚醒しています」←中山みきさんは接触をきっかけとしただけで対価は支払っていないのでしょうか?
 
中山みきさんがなくしたもの、あるいは明け渡したものは「女性としての通常の幸せ・この世の幸」というものでしたが、元々彼女はそういうものを求めてはいませんでしたし、あったとしても自ら捨てるつもりでしたから、フリーメイソンに奪われたという印象はなかったということです
 
●P528、4行目~ 「黒人のヒットメーカーもやられているはずです」←九ちゃんのヒットを手引きした人が黒人だったということですか?また「やられた」とは殺されたということですか?
 
○黒人のアーティストも差別の対象になっていたはず、という意味
 
●P530、1行目~ 「生命エネルギーの1種で異質な可能性の種」←ここでいう「異質な」とはどういう意味ですか?
 
○別な進化をもたらす「エネルギーの異質な可能性」ということ
 
●P535、7行目 「例の華族」←ここより以前に「華族」としての言及が見たりません。「ある皇族(P533、最終行)」のことですか?
 
○533頁最終行と534頁一行目~の「皇族」という表現を「華族」に変更
 
●P548、1行目 「人類の〝覚醒〟であるアセンションで扱う〝覚醒〟には1元(弦)という単位があります」 ←「1元(弦)」とありますが「単位」としては「元(弦)」でしょうか?また「元」「弦」と二種類表記があるのはどういう意味でしょうか?
 
○弦→波動(振動)のような意味、元→次元のこと。それぞれ意味を出して訳す
 
●P555、4行目~ 「このからくりは〝宇宙全史〟の中でお確かめください」←「今後の宇宙全史」ということでしょうか?
 
○今後の宇宙全史ということ
 
●P556、8行目 「今現在この時は非常に濃厚な時間です」←人類の歴史の中でも特に現在はいろんな要素(大アセンションなど)があって大切な時期(だが、普通の人はそのように感じていない)ということでしょうか?もしくは、いつも「今現在この時」という瞬間は実は非常に濃厚なものであるということでしょうか?
 
○今この時代ということ(いつも大事な時間ですがこの時期は特別です)
 
●P565、後ろから2行目 「心霊」←「神霊」でしょうか?
 
○神霊に修正
 
●P605、後ろから5行目~ 「そこまで求められていました」←集合魂から求められていたということですか?
 
○集合魂や地球などから
 
●P615、6行目 「藤吉」←初出ですので「山田藤吉」とした方が良いでしょうか?
 
○「竜馬らの身の回りの世話をしていた元関取の山田藤吉」に修正
 
●P616、後ろから3行目 「近江屋にあったとされる掛け軸、そこについた血痕は何なのでしょうか?確かどこかの展示館に転じされているはずです」←掛け軸は偽物ということですか?
 
○偽物です
 
●P636、後ろから3行目 「サークル」←「サイクル」でしょうか?
 
○「サイクル」に修正 ●
 
98頁4行目~ 「今の科学ではブラックホールとホワイトホールは入り口と出口と思われていますが、実際はその両方を同時に備えた奇妙な構造を持っています」 ←ブラックホールが入り口と出口であるのと同様に、ホワイトホールもまた入り口と出口であるという認識で宜しいでしょうか?
 
○そういう認識で結構です。表現が難しいのですが、科学的(今の科学ではありませんが)にいいますと、BHもWHも同じもので、その時の条件や目的により、エネルギーを吸い込むこともあれば、吐き出すこともあるようです。やがてこの事実は人類が理論的にか、観測事実が先かわかりませんが、発見されるかもしれません
 
●111頁後ろから4行目~ 「地球の歴史を書き換えなくてはならなくなったのですが~」←書き換えたのはどなたでしょうか?JUMUでしょうか?
 
UMUの管轄でJUMUが書き換えています ●115頁後ろから5行目~ 「エントロピーに関しましては「基本」の章で説明しておきました」←「基本」の章はありませんので削除した方が良いでしょうか? それとも「次巻以降で説明予定」とした方が良いでしょうか? ○「次巻以降で説明」にしておいて下さい
 
●133頁7行目~ 「3億8538年前」←正しくは「3億8538万年前」でしょうか?
 
○その通りです。3版では修正してください。
 
 
●135頁最終行 「この章「地球全史」の後半で出てまいりますが「恐竜人間」事件がありまして」←この章(第3章)は「地球全史」ではなく、また恐竜人間のくだりは第5章「地球全史2」にありますので、「この章「地球全史」の後半」という箇所は「「地球全史2」の章」と修正して宜しいでしょうか?
 
○それで結構です
 
●140頁2行目 「(いて座の方々は)恒星系や惑星などは造られるようですが、普通は自然にできているようです」←恒星系や惑星は普通は自然に出来るものだが、(太陽系のように)いて座の方々が造ることもあるということでしょうか?
 
○太陽系はこの宇宙の中でも特殊なゾーンです。その特殊な時空間に、物質レベルの惑星群を創り上げるのには、自然な成り行きでは無理があったようで、この宇宙では普通はあまりないのですが、宇宙の総決算場という舞台を創り上げるために働いておられます
 
●163頁5行目 「上を変えるしかないというのが現状です」←ここでいう「上」とは具体的にどなたでしょうか?
 
○残りの14%で、迷妄に彷徨う人々を導いていける指導者たちですが、その方たちをどう変えていくかということです(彼らもやはりエゴを抱えて入るのです)
 
●173頁3行目 「「黙示録」の章でも書いておきましたが」←「黙示録」の章はありませんので削除して宜しいでしょうか?
 
○削除してください・黙示録は収録しましたが、今の人類に聞かせる内容ではないので、そのままになっています
 
●175頁後ろから6行目、後ろから3行目~ 「30体のうち7体は残りましたが、23体はすぐに戻っています」 「27体がすぐに帰ったのは、~27体で帰れたということです。」←プレアデス系の入植第4弾の方々のうち「すぐに帰った」のは23体か27体のどちらでしょうか?
 
○これは23体ですね
 
●179頁7行目 「地球のあらゆる階層の波動を乱して」←ここでの「階層」は「次元」のような意味でしょうか?
 
○次元で結構です・次元とは認識の指標(指数)のようなもので、魂の境涯を現す数値です。ですからわかりやすく階層ともいいます
 
●197頁後ろから5行目~ 「その存在(妖怪という存在)がなくなる時、ちょうどその時に私たち人類は地球始まって以来の大アセンションという大きな関門を通らなければならないのです。それは何を意味しているのでしょうか。」←残りの妖怪達が自然霊となって地上から去っていく時期と人類の大アセンションの時期が偶然重なっているということでしょうか? それとも、妖怪のアセンションが人類のアセンションのスイッチのようなものになっているということでしょうか?
 
○人類のアセンションの時期は、妖怪の消失だけが要因ではなく、多くのファクターが重なっていますし、上位の方たちの意志も大きく関与しています(天之御中主大神などは多分飽きています)。このように他にも色々あるのですが・・偶然ということはなく、あらゆるものが必然といえば必然なのです
 
●205頁9行目~ 「性器は普通にありますが、体と比べると小さいようです」←これは男女ともでしょうか?
 
○男女ともです
 
●206頁6行目~ 「海の中とはいえある程度は生物が残っていたのです」←海の中で生きるという選択をした妖怪たちにとっての食糧となる生物が海の中に残っていたということでしょうか?
 
○食料も居心地も共に求めた・環境もまあ(地上よりは)よかった
 
●292頁4行目~  (本文) あとの肉体はそのまま放牧しています。これで多少は繁殖力などが強くはなったようでした。 哺乳類のDNAにおける雌雄分岐遺伝子というのがあるようなのですが、この部分が元々少し弱かったところを補強しています。この「雌雄分岐」というDNAにおける塩基は、ある意味進化の要のようで「バイセクシャルでもなく極端なオス・メスでもない調和された雌雄」ということが大切だったようです。 ←「雌雄分岐遺伝子の補強」というのは放牧を通して繁殖力を強化したことと同  義でしょうか?もしくは、放牧とは関係なく他の手段で補強を行ったのでしょうか? また、「雌雄分岐遺伝子の補強」によって「バイセクシャルでもなく極端なオス・ メスでもない調和された雌雄」が実現されたということでしょうか?
 
○放牧を通して補強はしていません(多少は効果がありますが)。 エストラダから来た肉体から抽出した遺伝子でバランスの良い雌雄分岐遺伝子を一定数の肉体に補完し、それを放牧している(放置している)人間たちの中に更に混ぜることで、自然に全体を強化しています その効果は確かにありましたが、現実問題として単純な男女の分化の明確化だけではなく、潜在的バイセクシュアルという生命本来の有り様にも気づくことができるような余地を残しています。 しかしこの余地が現代の段階では、同性愛などに大きく反映されてしまっていますが、そんな中から肉体という段階を超えての愛を模索するという学びが用意されてもいるのです
 
●294頁9行目~  (本文) 人間の優しさの部分を「情」と判断していたメンバーたちの勘違いは、恐竜人間に「邪悪さ」というとんでもない形質を持たすことになるのです。「情」という感情は二元性の形質です。その中には「執着」とそれが実現しない裏の形質として「冷酷さ」というものを併せもっているものです。しばしば「情」を二元性のカテゴリーを持たない「愛」と勘違いされる方がおられますが、「情」と「愛」はまったく違うものなのです。←ここでいう「情」ではない「人間の優しさ」とは、ドン・ファンのいう戦士の 条件の一つの「やさしさ」と同義でしょうか? また、「愛」という表現を、英語の「love」のような言葉で訳しますとどうして も二元性をはらんでしまいますことから、ここでの「愛」は仏教でいう「慈愛(mercy)」という意味で訳して宜しいでしょうか? また、先の「情」とは「愛情」のことでしょうか?
 
○まず本文では「情」を二元性を持つ性質、「愛」を二元性に属さないものとしてありますが、これは便宜的な方便のようなもので、実際は共に二元性に属するものになります。 ただ「宇宙全史」第一巻を読む段階の方たちに、いきなり二元性を超えるロジックを展開しても理解できそうもなかったので、そういう形にしてあります。  ただ愛は情よりは遥かに軽く波動の高い「執着」ですが、それでも二元性にあるものになります。 しかし物や肉体に関わるものに対する執着(情)と、肉体や物を超えたところに関わる執着(愛)では雲泥の差があり、愛を単純に執着のカテゴリーに入れておくには少し無理があるようです。 どちらかというと愛は、全ての生命への共感と一体感を標榜したものになります。 また仏陀の専売特許の慈悲は、さらにその愛を遥かに超えた次元から、愛を標榜するだけではなく、全ての生命にその進化の道筋と限りないエネルギーを与え続けています。 それでもこの仏陀の慈悲であっても、やはりそれは二元性に属するものになります。  (補足ですが「情」そのものは、単純な執着ではなく、物や肉体に関わる執着に人の感情が関わるとき、その感情が引き起こす一種の印象(インパクト)の記憶になります。そしてこの情(印象)は、脳における記憶ではなく、少し上位の(気体・気の体にある)脳のような部位に蓄積されるので、通常の脳の記憶と異なり、人に対する影響力に強い(深い)ものがあるのです。また愛情と情は少し異なっていまして、情よりは愛情の方が「自分だけに関わる執着」からは少し脱却していますので、上位にくるものになりますが、それでもそれが愛に昇華するには、まだまだ修行が必要でしょう) 人間の本当のやさしさとは「強さ」から来る二義的な性質のことをいいます。 本当に強い人間は、世界を乱暴に扱うことはなく、そっと触れては、いつの間にか誰にも知られず、記憶にも残らず風のように去っていきます。 そこにエゴの痕跡はなく、ただ彼の仕事が残るだけです。 まるで一陣の風が、山々の草木をなびかせ、湖畔にさざ波を走らせ、浮雲を流しても、それはただ季節が移り変わっていくだけの印象しか残さないようなものです。 ですから本当のやさしさとは、本当に強い人間にしか備わらない形質をいうのです。 「愛」という単語の英訳に関しまして、もう少し探求するようにというお言葉が月読の大神からありました。 このBBSをご覧になっている優れた英訳者がおられましたら、参考意見などお聞かせください