洗練されたエゴ

洗練されたエゴを追求したいと思います。
まず御教示から。
 
「子供の時に育てるエゴは「愛されている」「守られている」「自分は生きていていいんだ」というエゴです。
そこに祈りがあるというのは実はとてもいいことなのです。
ただし親が「ちやんと唱えなさいよ」とか「毎日キチンとやらなきゃだめよ」というようなやり方ではう
まくいきません。
五井先生のようにやさしくお母さんと一緒に祈りましょうねという姿勢がそこには問われるのです」
 
「本当に完全覚醒に至るには適したエゴなど存在しませんが、すでに書きましたようにその前の段階では「洗練されたエゴ」というのが課題になります。
「整理されたエゴ」ともいいますが…
 
混乱した生活からは混乱したエゴしか生まれません(本当は逆でエゴが混乱しているので生活が混乱するのですが)。
常時エゴを見つめ、そこを整理していくと「エゴを薄くする」という次の段階に移行出来るようになっていきます」
 
 
「私たちは覚醒を本心から求めるまでは、エゴを洗練させなければなりません。
 
「エゴを洗練させる」ということはとりあえず、
 
①自分以外のもの(他人や木や雲なのです)を識別する
 
②識別したものと共存できるようにする
 
この二つが人間のエゴにとっての大きな使命です。
 
①は人が幼い頃にエゴを生み出すための作業になります
②は分離した世界で(大人になって)生き抜くためのエクササイズです
 
そして②の中で出来る限り自分(エゴ)の目的にかなった生き方を探るのが「洗練されたエゴ」なのです。
しかしこのエゴの中には、「エゴ」と「自らの本心(良心)」が混じってあります。
そこでどこまで「本心」を出していけるかが本当の洗練された「エゴ」になります。
その上でその「洗練されたエゴ」すらも薄くしていく作業が「覚醒」への道程になります」
 
 
「この地上のとらわれをすべて解くまでは、それまではそれなりに物質の重みといいますか、社会のシステムといいますか、人と人との付き合いといいますか、そういうものとうまく付き合っていかねばならないのが人間の宿命です。
 
どうせ付き合わなければならないのなら、洗練されたエゴで、洗練された付き合い方をしていくのがベストです。
 
そしていつか「もう人間は嫌だ」「人間社会はもう結構」となったら出家するなり覚醒を求めるなりなさればいいのです。
(ここが難しい判断なのですが、それが「逃避」「社会から逃げる」「人から逃げる」という選択はまた別なものです)
 
まだ未練があるうちは供養もしつつ、五井先生の祈りとともに生きていきましょう」